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般若心経 大本 小本(サンスクリット語)現代語訳


般若心経 ふりがな 読経  明石の禅寺 大蔵院

(朝課用)早口 般若心経 明石の禅寺 大蔵院

般若心経

サンスクリット(梵語)典籍の題名は
  प्रज्ञापारमिताहृदय
Prajñāpāramitāhṛdaya
プラジュニャー パーラミター フリダヤ
と言います


これを
亀茲国の三蔵法師
鳩摩羅什(344年-413年)
摩訶般若波羅蜜大明咒經
と漢訳され
唐国の三蔵法師
玄奘(602年-664年) は
摩訶般若波羅蜜多心経
と漢訳されました

漢訳は 他にもありますが
最も流布し 知られているのは
後者の玄奘訳です


般若心経には 大本と小本があります

小本は
観音菩薩の説法部分が
記されているもの

大本とは
説法部分の禅語に
物語の基本的な設定が
記されているものです

最も流布している玄奘訳は小本です


ここでは 大本・小本を載せています

大本・小本毎に
1.サンスクリット語ローマ字表示
2.現代日本語訳
3.漢文
を載せています

大本には
燉煌石室本の漢訳を載せ
小本には
鳩摩羅什と玄奘の漢訳を載せました

玄奘訳 般若心経の「ふりがな」は
臨済宗で誦まれているものを載せています

般若心経 経本の写真

.
.
.

般若心経(大本)
ローマ字表記サンスクリット語
現代語訳
漢文(燉煌石室本



【サンスクリット語(梵字)ローマ字表記】
※参照 中村 元紀野 一義訳註
「般若心経・金剛般若経」

日本語意訳

【漢文】
燉煌石室本
(大蕃?)國大徳三藏法師沙門法成譯
般若波羅蜜多心經
※参照資料 大正新脩大藏經






namas sarvajñāya
全てを知る者に帰依します
(漢訳なし)



evam mayā srutam
私はこのように聞きました
如是我聞



ekasmin samaye
bhagavān Rājagrhe viharati sma
Grdhrakūte parvate mahatā bhiksusamghena sārdham
mahatā ca bodhisattvasamghena

ある時
世尊は ラージャグリハ(王舎城)の
グリドゥフラクータ(霊鷲山)に
多くの修業僧達や 多くの求道者達と
倶に居られた
一時
薄伽梵王舍城 鷲峯山
與 大苾蒭衆 及諸菩薩 摩訶薩




tena khalu samayena
bhagavān Gambhīrāvasambodham nāma samādhim samāpannah

実に その時 世尊は

深遠な悟りと名付けられる
瞑想に入られた
爾時 世尊等入

甚深明了三摩地法之異門



tena ca samayenāryāvalokitesvaro bodhisattvo mahāsattvo gambhīrāyām
prajñāpāramitāyām caryām caramāna evam vyavalokayati sma

その時
優れた人、求道者・聖アヴァローキテシュバラは
深遠な知恵の完成を実践しながら
このように見極めた
復於爾時
觀自在菩薩摩訶薩
行深般若波羅蜜多
觀察照見




pamca skamdhās tāms ca svabhāvasūnyān vyavalokayati
存在するものには
五つの構成要素があり
これらは本性において
実体がない(空)と
五蘊體性

悉皆是



athāyusmāñ Chāriputro
buddhānubhāvenāryāvalokitesvaram bodhisattvam etad avocat

そこで 長老シャーリプトラは
仏の力を受け
聖アヴァローキテシュバラに次のように言った
具壽 舍利子
承佛威力
白聖者觀自菩薩 摩訶薩




yah kascit kulaputro
gambhīrāyām prajñāpāramitāyām caryām cartukāmah
katham siksitavyah

誰であれ 立派な若者で
深遠な智慧の完成を
実践したいと願った者は
どのように学んだらよいでしょうか
若善男子
欲修行甚深般若波羅蜜多
復當云何修學 作是語已




evam ukta āryāvalokitesvaro bodhisattvo mahāsattva
āyusmamtam Sāriputram etad avocat

このように言われた
求道者・聖なるアヴァローキテシュバラは
長老シャーリプトラに 次のように言った
觀自在菩薩 摩訶薩
具壽 舍利子 言




yah kascic Chāriputra
kulaputro vā kuladuhitā vā gambhīrāyām prajñāpāramitāyām
caryām cartukāmas tenaivam vyavalokayitavyam
pamca skamdhās tāms ca svabhāvasūnyān samanupasyati sma

シャーリプトラよ
もし立派な若者や 立派な娘が
深遠な智慧の完成を
実践したいと願ったときには
次のように見極められるべきである
(存在するものには)
五つの構成要素があると
そこで彼らは これらの構成要素は
その本性からいうと
実態のないものだと見抜いた
若善男子及善女人
欲修行甚深般若波羅蜜多
彼應如是觀察

五蘊體性皆



rūpam sūnyatā sūnyataiva rūpam
rūpān na prthak sūnyatā sūnyatāyā na prthag rūpam

物質的現象には実態がなく
実態がないからこそ
物質的現象でありうる
即是
即是



yad rūpam sā sūnyatā
yā sūnyatā tad rūpam

実体がないと言っても
物質的現象を離れていない
物質的現象は 実体がないことを離れて
物質的現象であるのではない
不異
不異


yad rūpam sā sūnyatā
yā sūnyatā tad rūpam

およそ物質現象というものは
全て実体がない
実体がないということは
全て物質的現象である
(漢訳なし)



evam vedanā-samjñā-samskāra-vijñānāni ca Sūnyatā.
これと同じように
感受作用も 知覚作用も
意志作用も 認識作用も
全て実体がないのである
如是


亦復皆



evam Sāriputra
sarvadharmāh sūnyatālaksanā
anutpannā aniruddhā
amalāvimalā
anūnā asampūrnāh

シャーリプトラよ この世においては
全ての存在するものには
実体がないという特徴がある
生じることもなく 滅ぶこともない
汚れたものでもなく
汚れを離れたものでもない
減ることもなく 増すこともない
是故 舍利子
一切法

空性無相
無生無滅

無垢離垢
無減無増



tasmāt tarhi Sāriputra
sūnyatāyām

na rūpam na vedanā na samjñā na samskārā na vijñānam
それ故に シャーリプトラよ
実体がないという立場においては
物質的現象もなく 感覚もなく
知覚もなく 意志もなく 認識作用もない
舍利子 是故

爾時 空性之中
 無受

無想 無行 亦無有識



na caksur na srotram na ghrānam
na jihvā na kāyo na mano
na rūpam na sabdo nagamdho

na raso sprastavyam na dharmāh
眼もなく 耳もなく 鼻もなく
舌もなく 身体もなく 心もない
色や形もなく 声もなく 香りもなく
味もなく 触れる対象もなく
心の対象もない
無眼 無耳 無鼻
無舌 無身 無意
無色 無聲 無香

無味 無觸 無法



na caksurdhātur
yāvan na manodhātur
眼に映る世界もなく
また 心の世界もない
無眼界 乃至 無意識界



na dharmadhātur
na manovijñānadhātuh
心の対象の世界もなく
心の識別の世界もない
(漢訳なし)



navidyā nāvidyā na ksayo
yāvan
na jarāmaranam

na jarāmaranaksayah
悟りもなく 迷いもなく
これらが無くなることもない
さらに
老いも死もなく
老いと死が無くなることもない
ということに至る
無明 亦無無明
乃至
無老死 亦無老死盡




na duhkhasamudaya-nirodhamārgā
na jñānamna prāptir
nāprāptih

苦しみも

苦しみの原因も
苦しみを抑制することも
苦しみをなくす道筋もない
知ることもなく
得ることもなく
得ないということもない
苦集滅道
無智
無得 亦無不得




tasmāc Chāriputra
aprāptitvena
bodhisattvānām prajñāpāramitām āsritya viharaty
acittāvaranah

それ故に シャーリプトラよ
得ることがないから
求道者の智慧の完成を頼りにし
人は 心を覆うものから離れ 暮らしている
是故 舍利子
以無所得故
菩薩衆 依止般若波羅蜜多




cittāvarananāstitvād atrasto
viparyāsātikrāmto

nisthanirvānah
心を覆うものがないから 恐怖もなく
転倒した見解から離れ
涅槃(ニルヴァーナ)の中に入る
心無障礙 無有恐怖
超過顛倒

究竟涅槃



Tryadhvavyavasthitāh sarva-buddhāh
prajñāpāramitām āsrityānuttarām
samyaksambodhim abhisam buddhāh

(過去・現在・未来の)
三世の全ての仏たちは
智慧の完成を頼り
この上ない 正しい完全な目覚めを得た
三世一切諸佛
亦皆 依般若波羅蜜多
證得 無上正等菩提




tasmāj jñātavyah
prajñāpāramitāmahāmamtro
mahāvidyāmamtro ʼnuttramamtro ʼsamasamamamtrah
sarvaduhkhaprasamanamamtrah
satyam amithyatvāt

それ故に 知るべきである
智慧の完成の偉大な真言(マントラ)
大いなる悟りの真言
無上の真言 比類なき真言
全ての苦しみをかなたに鎮める
真言であり
真実にして嘘がないと
舍利子 是故當知

般若波羅蜜多 大蜜咒者
是大明咒

是無上咒 是無等等咒
能除一切諸苦之咒
眞實無倒




prajñāpāramitāyām ukto mamtrah
tad yathā,
知恵の完成において この真言は
次のように誦まれた
故知般若波羅蜜多 是祕密咒
即説般若波羅蜜多咒曰



gate gate pāragate
pāra-samgate
bodhi svāhā

行く者よ 行く者よ 彼岸に行く者よ
彼岸へ完全に行き着く者よ
悟りよ 幸あれ
峩帝 峩帝 波囉峩帝
波囉僧峩帝
菩提 莎訶




evam Sāriputra
gambhīrāyāmprajñāpāramitām caryāyām
siksitavyam bodhisattvena

シャーリプトラよ
深遠な智慧の完成を実践する時には
求道者(菩薩)は
このように学ぶべきである
舍利子
菩薩 摩訶薩

應如是修學甚深 般若波羅蜜多



atha khalu
bhagavān tasmāt samādher
vyutthāyāryāvalokitesvarasya bodhisattvasya sādhukāram adāt

さて実に
世尊は 瞑想から起き上がり
聖なるアヴァローキテシュバラへ
賛辞を与えられた
爾時
世尊 從彼定起
告聖者觀自在菩薩 摩訶薩




sādhu sādhu kulaputra
evam etat kulaputra

その通りだ その通りだ 立派な若者よ
まさに そのようだ 立派な若者よ
善哉善哉 善男子
如是如是




evam etad
gambhīrāyām prajñāpāramitāyām caryam cartavyam

まさに このように
深い智慧の完成を実践するときには
そのように行われなければならない
yathā tvayā nirdistam
anumodyate tathāgatair arhadbhih
idam avocad bhagavān ānamdamanah

汝によって説かれた その通りに
如来達や阿羅漢達は
共に喜び受け入れるであろう
世尊は喜びの心で このように言われた
如汝所説
彼當如是修學般若波羅蜜多
一切如來 亦當隨喜
薄伽梵 説是語已




āyusmāñ Chāriputra āryāvalokitesvaras ca bodhisattvah
sā ca sarvāvatī parsat
sadevamānusāsuragamdharvas ca loko
bhagavato bhāsitam abhyanamdann iti

長老シャーリプトラと聖なるアヴァローキテシュバラ
そして その他 全ての法会に集った人々
および 神々 人間
阿修羅 ガンダルヴァを含む世界の者達は
世尊の言葉に歓喜した
具壽 舍利子 聖者觀自在菩薩 摩訶薩
一切世間
天 人

阿蘇羅 乾闥婆
聞佛所説 皆大歡喜




prajñāpāramitāhrdayasūtram samāptam
ここに 智慧の完成の心という経典が
完結した
信受奉行 般若波羅蜜多心經



聖観世音菩薩 ご本尊の写真




般若心経(小本)
ローマ字表記サンスクリット語
現代語
鳩摩羅什の漢訳
玄奘の漢訳

.
.

【ローマ字表記サンスクリット語】
参照テキスト
中村元・ 紀野一義(翻訳)
般若心経・金剛般若経

【現代語】

【漢文】
姚秦天竺 三藏法師 鳩摩羅什
摩訶般若波羅蜜大明呪経


【ひらがな】
玄奘三蔵訳 臨済宗の読み方

【漢文】
唐 三藏法師 玄奘訳
般若波羅蜜多心経







Namas Sarvajñāya.
全知者である覚った人に帰依します
(漢訳なし)
(なし)
(漢訳なし)



āryāvalokiteśvaro bodhisattvo
gaṃbhīrāyāṃ prajñāpāramitāyāṃ caryāṃ caramāṇo

vyavalokayati sma:pañca skandhās
tāṃś ca svabhāvaśūnyān paśyati sma
求道者にして聖なる観音菩薩は
深遠な智慧の完成を実践していたとき
存在するものには
五つの構成要素があると見きわめた
しかも彼は これらの構成要素は
本性からいうと
実体がないことを見抜いた
觀世音菩薩
行深般若波羅蜜時

照見五陰
かんじざいぼさつ
観自在菩薩
ぎょうじんはんにはらみたじ
行深般若波羅蜜多時

しょうけんごうん かいくう
照見五蘊 皆空



(サンスクリット原文なし)
(訳なし)
度一切苦厄
どいっさいくやく
度一切苦厄



iha Śāriputra
rūpaṃ śūnyatā, śūnyataiva rūpam.
rūpān na pṛthak śūnyatā, śūnyatāyā na pṛthak rūpaṃ
yad rūpaṃ sā śūnyatā,yā śūnyatā tad rūpam

シャーリプトラよ この世界では
物質的現象には実体がない
実体がないからこそ
まさに物質的現象であり得るのだ
実体がないといっても
それは物質的現象と別ではない
実体がないことと別にして
物質的現象である訳でない
物質的現象には 実体がなく
実体がないからこそ 物質的現象である
舍利弗
色空故無惱壞相

受空故無受相 想空故無知相
行空故無作相 識空故無覺相
何以故 舍利弗

非色異空 非空異色
色即是空 空即是色
しゃりし
舎利子
しきそくぜくう くうそくぜしき
色即是空 空即是色

しきふいくう くうふいしき
色不異空 空不異色
(なし)
(漢訳なし)



evam eva vedanāsaṃjñāsaṃskāravijñānāni
同様に
感覚も知覚も 意志も認識も 実体がない
受想行識  亦如是
じゅそうぎょうしき やくぶにょぜ
受想行識 亦復如是



iha Śāriputra
sarvadharmāḥ
śūnyatālakṣaṇā
シャーリプトラよ この世界では
全ての存在するものは
実体がないという特徴がある
舍利弗
是諸法空相

しゃりし
舎利子
ぜしょほうくうそう
是諸法空相




anutpannā aniruddhā
amalāvimalā nonā na paripūrṇāḥ
生じることもなく 滅ぶこともなく
汚れるものでもなく
汚れを離れたものでもなく
減ることもなく 増すこともない
不生不滅
不垢不淨
不増不減
ふしょうふめつ
不生不滅
 ふくふじょう
不垢不浄
 ふぞうふげん
不増不減



tasmāc chāriputra
śūnyatāyāṃ na rūpaṃ na vedanā na saṃjñā na saṃskārā na vijñānaṃ

それゆえに、シャーリプトラよ
実体がないという性質(空)においては
物質的現象もなく 感覚もなく
知覚もなく 意志もなく 認識もない
是空法 非過去非未來非現在
是故空中 無色無受想行識

(なし)
(漢訳なし)
ぜこくうちゅう
是故空中
むしき むじゅそうぎょうしき
無色 無受想行識



na cakṣuḥśrotraghrāṇajihvākāyamanāṃsi,
na rūpaśabdagandharasaspraṣṭavyadharmāḥ

眼もなく 耳もなく 鼻もなく
舌もなく 身体もなく 心もなく
色や形もなく 音もなく 匂いもなく
味もなく 触れられる対象もなく
心の対象もない
無眼耳鼻舌身意
無色聲香味觸法

むげんにびぜっしんに
無眼耳鼻舌身意
むしきしょうこうみそくほう
無色声香味触法




na cakṣurdhātur yāvan na manovijñānadhātuḥ
眼に映る世界から
意識する世界に至るまで
ことごとく無い
無眼界 乃至無意識界
むげんかい ないしむいしきかい
無眼界 乃至無意識界



na vidyā nāvidyā
正しい知識もなければ
迷い・煩悩も無く
(漢訳なし) 無無明
  (なし) むむみょう
(漢訳なし) 無無明



na vidyākṣayo  nāvidyākṣayo
正しい知識が無くなることもなければ
迷い・煩悩が無くなることもない
(漢訳なし) 亦無無明盡
  (なし) むむみょうじん
(漢訳なし)  無無明尽



yāvan na jarāmaraṇaṃ na jarāmaraṇakṣayo
こうしてついに 老いも死もなく
老いと死が無くなることもない
乃至無老死無老死盡
ないしむろうし やくむろうしじん
乃至無老死 亦無老死尽



na duḥkhasamudayanirodhamārgā
苦しみも
(苦しみの)原因も
(苦しみを)制することも
(苦しみを制する)道も無い
無苦集滅道
むくしゅうめつどう
無苦集滅道



na jñānaṃ na prāptiḥ
知ることもなく 得ることもない
無智亦無得
むちやくむとく
無智亦無得



tasmād aprāptitvād
bodhisattvānāṃ prajñāpāramitāṃ
āśritya viharaty acittā varaṇaḥ
それ故 得ることが無いから
求道者たちの智慧の完成によって
人は 心を覆うものなく暮らしている
以無所得故
菩薩依般若波羅蜜故
心無罣礙
いむしょとくこ
以無所得故
ぼだいさったえはんにゃはらみたこ
菩提薩埵依般若波羅蜜多故
しんむけいげ
心無罣礙



cittāvaraṇanāstitvād atrasto
viparyāsātikrānto
niṣṭhanirvāṇaḥ
心を覆うものがないから 恐れがなく
誤った見解から遠く離れ
ニルヴァーナ(永遠の悟りの境地)に入る
無罣礙故無有恐怖
離一切顛倒夢想苦惱
究竟涅槃
むけいげこ むうくふ
無罣礙故 無有恐怖
おんりいっさいてんどうむそう
遠離一切顛到夢想
くぎょうねはん
究境涅槃



tryadhvavyavasthitāḥ sarvabuddhāḥ prajñāpāramitām
āśrityānuttarāṃ
saṃyaksambodhiṃ abhisambuddhāḥ
(過去・現在・未来の)
三世の目覚めた人たちは智慧の完成を
よりどころとして
この上なく正しい完全な悟りを得られた
三世諸佛依般若波羅蜜故
得阿耨多羅三藐三菩提
さんぜしょぶつえはんにゃはらみたこ
三世諸仏依般若波羅蜜多故
とくあのくたらさんみゃくさんだいぼだい
得阿耨多羅三藐三菩提



tasmāj jñātavyaṃ
prajñāpāramitāmahāmantro
mahāvidyāmantro

‘nuttaramantro
‘samasamamantraḥ
それ故に、知るべきである
智慧の完成は
偉大なる真言(マントラ)であり
偉大な正しく明らかな知識の真言
この上ない真言
等しいものが無い 無比の真言で
故知般若波羅蜜
(漢訳なし)是大明呪
 
無上明呪 無等等明呪
こちはんにゃはらみた
故知般若波羅蜜多
ぜだいじんしゅ ぜだいみょうしゅ
是大神呪 是大明呪

ぜむじょうしゅ ぜむとうどうしゅ
是無上呪 是無等等呪



sarvaduḥkhapraśamanaḥ
全ての苦しみを
遥かに鎮めるものである
能除一切苦
のうじょいっさいく
能除一切苦



satyam amithyatvāt
prajñāpāramitāyām ukto mantraḥ,
tad yathā
それは真実であり 偽りがないため
智慧の完成に その真言は誦まれる
それは すなわち
眞實不虚 故説般若波羅蜜呪
即説呪曰
いんじつふこ こせつはんにゃはらみたしゅ
真実不虚 故説般若波羅蜜多呪
そつせつしゅわつ
即説咒曰



gate gate
pāragate
pārasaṃgate bodhi svāhā.
往ける者よ 往ける者よ
彼岸に往ける者よ
彼岸に全く往ける者よ 悟りよ 幸あれ 
竭帝 竭帝
波羅竭帝
波羅僧竭帝 菩提僧莎呵
ぎゃて ぎゃて
羯諦 羯諦
はらぎゃて
波羅羯諦
はらそうぎゃて ぼじそわか
波羅僧羯諦 菩提薩婆訶



iti Prajñāpāramitāhṛdayaṃsamāptam.
ここに 智慧の完成の心が 完結した
摩訶般若波羅蜜大明呪經
はんにゃはらみたしんぎょう
般若波羅蜜多心経
※大正大蔵経には「般若波羅蜜多心経」とあるが
現在では

「般若心経:はんにゃしんぎょう」と
略すことが多い







明石の禅寺 大蔵院
経典 記事一覧

金剛般若経
般若心経

観音経
延命十句観音経

大悲呪
開甘露門

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仏頂尊勝陀羅尼
中峰和尚座右の銘

興禅大燈国師遺戒

白隠禅師坐禅和讃
雲水和讃


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般若心経
大悲呪
昔の本堂の様子と 新本堂を再建する様子

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